「サラリーマンと農家は変わらない」農業 の職業選択のハードルを下げる「雇用就農」とは
Case05-大野幸一さん-
「農業を豊浦でするなら今のタイミングしかないと思うんだよね」「離農した人から技術を教わるよりも、現役で農業をしている人がいる今だからこそ、農業をやりたい人は『教えてくれ』と頼めばいい」そう熱く語る男。
いちご直売専門の高橋農園の4代目として活躍しているが、約6年半ほどサラリーマンをやってから就農した。
「昔は農家って誰でもできるなと感じていた」
と当時を振り返る。
もともと農家をやりたいと思っていたが、自身の中ではいつでもできるなという感覚が大きかった。
そんな中で、もしもの時に備えて資格を取得しようと専門学校に通い、卒業後はまずサラリーマンとして約6年半ほど働きながら、実家の農園を手伝っていた。
サラリーマンとして生活をして、約6年半が過ぎた頃にある出来事が起こってしまう。
「前代表の死去」祖父にあたる前代表が、亡くなってしまった。その時は現代表の母に事業継承をされていたのだが、さらに同じタイミングで、現代表も体調を崩して、入院をしなければいけなくなった。
「いちごの苗はもう植えてしまっているから、収穫まで自分がやるしかないと思った」
とサラリーマンを辞めて、就農することを決意した。
しかし、そこからの道のりは決して楽な道のりとは言えなかった。
事業継承はしていたものの、完全分業制で仕事をしていた前代表(祖父)と現代表(母)。現代表はどのようにして、いちごを栽培しているのか、分からなかった。また全国の中でも希少な「宝交早生(ほうこうわせ)」という品種を栽培していたり、同じ品種でも農家によって、栽培方法が異なるため、高橋農園の栽培方法を知る人はいなかった。
「すごいトライ&エラーを重ねました」
今では収穫時に身が潰れてしまうほどの柔らかく、熟したいちごを栽培しているが、就農当初は栽培方法など、学生時代やサラリーマン時代に手伝っていた記憶を頼りに、前代表の栽培方法を探った。やっとの思いで作り上げた現在のいちご。今回の記事には書ききれないほどのこだわりと想いが詰まっていた。
先代の時から直売店を持っていて、直接お客様からいちごを購入してもらっている。サラリーマン時代は営業担当で、どのようにしたら自分たちの商品を購入してもらえるのか学びながら、前職ではタイヤを売っていた。今でもその会社の月間の売り上げ本数1位という経験や実績が自信となっている。
そしてその自信と共にいちごは味で勝負をする。伝えるのは「高橋農園のいちご」「品種」「日持ちがしない」とだけ。最後の「日持ちがしない」の意味だが、現在、市場に出ている多くのいちごは収穫からお客様の手に渡るまで少し時間がかかってしまうため、日持ちをするように硬い果肉が主流となっている。
しかし高橋農園で栽培しているいちごは直売店でのみ販売しているため、ギリギリまで熟させて収穫ができ、実がすごく柔らかい。それゆえに日持ちをあまりしないことを、どのような状態でも全て正直にお客様に伝える。
また、購入してもらうときは必ず味見をしてもらい、お客様自身に判断してもらう。お客様がどのようないちごを求めているのかたずねて、もし自分のところのいちごとマッチしなければ正直に伝え、他の農家さんのいちごを勧めるという。そこには菊地さんの何度もトライ&エラーを重ねて、たどり着いたいちごに対するこだわりや愛情が伝わってくる。
就農して現在に至るまでにたくさんの経験をしたが、当時を振り返って
「農業はやりたくてもできる職業じゃないよね、土地がいるし、機械もいる、それらを揃えるお金がいる」
と語る。就農する前は農業はいつでもできると思っていたが、それは自分が農家の息子のため、土地や機械が揃っていて、いつでも農業ができる状態にあり、恵まれていたんだと気付いた。
豊浦で農業をしていく中で個人としても豊浦としても、この技術や農地を後世に伝えていかなければならないなと感じた。
「なくなったものを復活させるのは難しいし、自分のようにゼロから学ぶのは大変」高齢化の進む農業、豊浦も例外ではない。先代が築き上げてきた「豊浦いちご」というブランドを絶やしてはいけない。
どうしたら豊浦いちごや自分たちのやってきたことを残していけるか考えたときに、自分と同じように恵まれた環境を用意しようと考えた。
「裸一貫で豊浦に来て農業ができるようにしてあげたい」
まだ研修プログラムとして完成されているわけではないが、農業をやりたい人が自分と同じようにいつでも農業ができる環境がいい。準備できることはこちらでしてあげたい。また豊浦の農家さんたちと協力をして、一人の研修生に対して、数人の農家さんで技術を教えていくことも視野に入れている。
「農業の研修は大体一人の研修生に対して、受け入れ先の農家さんが技術や営農方法を全て教えるが、そうではなくて各々得意な分野を教えていく方がいいと思うんだよね」
一般的な農業の研修は1つの農家さんのところに数年一緒に働いて、技術や営農方法を学ぶことが多い。しかし、新たに考えている研修プログラムでは一人の研修生に対して、各々の農家さんが組織として得意な分野を教えていく研修プログラムを作成している。
「これから豊浦で農業したい人は自分と同じたくさんのトライ&エラーはしなくていいと思うんだよね、そこは教えてもらって残りの時間を有効に使ってもらいたい」
そこには自身が経験した、教えてもらえる環境が少なかったという事を、これから豊浦で農業をしたいと思っている人には経験させたくはないという菊地さんの男気が伝わった。
「先生方が現役でやっている、その横で自分もやって見比べて、わからないところは聞く、それができるのは今のタイミングしかないと思うんだよね。『教えてくれ』って来たらいい、小さい町だからさ、そのぶん俺ら既存農家も助けてあげられることは助けられると思うんだよね」
これから豊浦で農業したいと思う人には自分と同じように「土地、機械のある環境」を、また、自分と同じ経験をしてほしくないという思いからできた「各々の農家が得意な分野を教える」という研修プログラムは、菊地さんの実体験をこれからの人には全ていい形で残して行きたいという思いからできたものかもしれない。